「死ぬには若すぎるよ」by Jay K

 先日、研究室の後輩とjamiroquaiの話をしてたんですが、アシッドジャズについて気になったんで調べてみました。

「ジャズで踊る」――このジャンルを端的に表すならば、この一言に尽きるだろう。アシッド・ジャズは、ソウル・ジャズジャズ・ファンク/ヒップ・ホップ/ラテン・ジャズのそれぞれから影響を受けつつ、80年代に誕生した。90年代のメジャーなダンス・ミュージックとは対照的に、アシッド・ジャズはライヴバンドの形態をとり、リズム・セクション、オルガン、ホーン、ヴォーカルなどを配しているのが特徴だ。80年代当時、イギリスのクラブ・シーンでは、60年代のアメリカン・ソウル・ジャズや70年代のジャズ・ファンクのレコードが頻繁にプレイされ人気を集めていたが、それらはすべてレア・グルーヴと呼ばれていた。こういった音楽は多くのミュージシャンやプロデューサーを触発し、アシッド・ジャズというムーヴメントを生むに至る。
 また、ジャズ・ファンクとヒップ・ホップを混ぜ合わせ、91年にデビューしたブラン・ニュー・ヘヴィーズは、このジャンルで商業的に成功した最初のバンドである。後続としてはガリアーノや今や世界的人気を得たジャミロクワイが挙げられる。以降、アメリカでもこのスタイルはすかさず取り入れられ、グルーヴ・コレクティヴやスライド・ファイヴなどが登場した。

Listen Japanより。
へー。
も一つ。上の続き的な文。

 その昔、ヒップホップ・ムーヴメントが定着してきて、ハウスという言葉もだいぶ音楽界に浸透してきたころ、アシッド・ジャズはハウスの中の、さらにトランス状態気味のアシッド・ハウスの片隅にあったものだった。かといって、アシッド・ジャズを聴けばトリップできるとか、そういうものでもなかった。ピカソで踊っていた人は、今また新たに盛り上がりを見せているアシッド・ジャズを西麻布イエローあたりで聴いていたりするのだろうか。
 このアシッド・ジャズ再評価の火つけ役は、TALKING LOUDレーベルのオーナーであるジャイルス・ピーターソンという、ものすごくませた子供といった感じの弱冠26歳の天才。ガリアーノヤング・ディサイプルズブラン・ニュー・ヘヴィーズなどの、あまりに有名になってしまったグライトなアシッド・ジャズ・バンドを見出した人。このムーヴメントは世界同時進行で、日本では小林径や荏開津広、U.F.O.といったDJたち、バンドでは月2回、イエローで開催されているイベント“JAZZIN'”でもライヴをやったことがあるジャズ・ファンク・バンドのクール・スプーンなどが挙げられる。U.F.O.に関していえば、彼らはDJ兼サウンド・クリエイターで、彼らのつくったアルバムは、イギリスやアメリカのニュー・ジャズ・チャートにも上がるほどの人気ぶり。

beat freak ON LINE #66の「Jazz It Out For What」より。
英国のDJでGilles Petersonと言う人が「Talking Loud」「Acid Jazz」レーベルを作ったそうですね。荏開津広ってジャミロのライナー書いてて、コレ誰なんだろって思ってたら、この方もDJをされてるんですね。ビックリした!つーか読み方わからんよ。