やる夫で学ぶモダン・ジャズ その8

【第4章 その1 「新主流派」とフリー・バップ】

さて私たちは60年代の代表的な2つの潮流、ファンキー・ジャズと、音楽理論の破壊で新しい表現を模索しようとしたフリー・ジャズを観てきました。ここではいよいよやる夫さんが一番最初に聴いた。「新主流派」系統のジャズを紹介したいと思います。ぶっちゃけて言うとこれといった定義は特にありません。「新主流派はこういう音楽だ」と明確な定義を求めるのは良くないかもしれません
よくモード・ジャズの担い手が「新主流派」だとか言われますが同時期に彼らもブルースやファンキー・ジャズ、フリー・ジャズの様な曲を多く残しました
また当時はメイン・ストリームがファンキー、その対抗馬がフリーと、主流を名乗るには余りにも絶対数が少なすぎました。


しかし60年代にファンキーにもフリーにも専念せず、尚且つ新しいスタイルを模索する人びとがある程度いたことは確かです。名称はともかくここでは彼らがどんな音楽を残したか紹介していきましょう。そのためには再びブレイキーさんと彼のバンドに出てきてもらいましょう。彼が60年を前後して起用した演奏者はどれもそれまでのハード・バップとは一味違った新しい雰囲気をもつ曲を書きます

ウェイン・ショーター「チルドレン・オブ・ザ・ナイト」

フレディ・ハバート「スカイラーク」

ジダ―・ウォルトン「ウゲツ」

この時期の演奏はメリハリはあっても圧倒しない抑制されたアドリブと、作り込まれてても暑苦しさを感じさせない洗練された作編曲が特徴で、以前の演奏とはまた違った魅力があります。しかし彼らの契約会社は「モーニン」の様なファンキー路線の演奏を期待しました。そのため余りにも従来のイメージとかけ離れたような曲は録音されてもお蔵入りになり、正式に発表されたのは「新主流派」が人びとに認識され始めた60年代後半になってからでした。故に当時の多くのジャズ・ファンに「ジャズ・メッセンジャーズはファンキーで明るい曲を演奏するコンサバティヴなグループ」という実像とは少しズレた印象を与えてしまうことになります。しかし彼のバンドと同調するように、新世代の若手が60年代中頃から斬新さと聴きやすさを併せ持った作品を次々と発表していきます。「ウゲツ」(雨月物語に着想を得ています)の様な曲はメッセンジャーズの「新主流派」時代60年〜64年にかけて多く書かれました。音源を探す時は時代別に探すと捗りますよ。


ジョー・ヘンダ―ソン(テナー・サックス)
「ブルー・ボッサ」

A列車で行こう」(こちらは後年の演奏)

 
ハービー・ハンコック(ピアノ)
「ワン・フィンガー・スナップ」

「ドルフィン・ダンス」

        
ボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン
「処女航海」

「ストールン・モーメンツ」

【参考】
ハービー・ハンコック 「処女航海」


最後に超有名にもかかわらず今まで取りこぼしてしまった3人を紹介して第4章前編は終わりにします。
オスカー・ピーターソン。演奏技術もさることながら非常に親しみやすいのが彼の特徴です。「Swing」の体現者!
「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」

酒とバラの日々」など


カウント・ベイシー・オーケストラ。こちらはビッグ・バンドです。吹奏楽などをやっていてジャズも聴きたいって人にお勧め。
「シャイニー・ストッキングス」

「ヒーツ・オン」

スイングだけでなくモダン・ジャズの演奏も多く残しています(モードの曲やビートルズカバーも!)。また上のシャイニー・ストキングスなどはモダン・ジャズの演奏家にも頻繁に取り上げられました


キース・ジャレット。現代最高のピアニストのひとりでクラシックや現代音楽にも造詣が深いです。
「オール・ザ・シングス・ユー・ア―」

「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」

活躍した時期は今回の説明と微妙にずれていますが、優れたスタンダードの演奏を多く残しているためここに紹介しました。