やる夫で学ぶモダン・ジャズ その9

【フリー・インプロヴィゼーション

最後の主人公はマイルス・デイヴィス。 59年にモード・ジャズを導入し、60年代のジャズありかたの1つを提示しました
次の録音は1961年の「オレオ」です。

独立したトレーンや大ベテランのブレイキーがモードの演奏や斬新な編曲を試みていたのに対して、マイルスは50年代に自分がやっていた音楽の延長線上から抜け出せませんでした。そしてとうとう他のメンバーも彼のバンドを離れて行ってしまいます…
そこで当時他バンドで活躍していた有望な若手を誘いました。

こうして彼のもとに集まったのが、まずテナー・サックスのジョージ・コールマン。彼はトレーンの推薦で入団しました。黒人のブルース・フィーリングにゲッツの様な端正なフレージングを併せ持っていました。
次にベーシスト、ロン・カーター。浮遊感のあるベースラインはマイルスの得意なロマンティックな曲によく合いました。
ドラマーはトニー・ウィリアムス。入団当初なんと17歳!従来の4ビート・ジャズにはない、革新的なドラミングで60年代を通してマイルスのカルテットの起爆剤になりました。
そしてピアノのハービー・ハンコック。マイルスの元では理知的なバッキング、抽象的なソロでバンドのサウンドのまとめ役になります。

マイルスのバンドのサウンドは新世代の息吹が入り一新されました。彼自身は保守的なスタイルのプレーヤーでしたが、新しい演奏方法や、有望な新人を発掘するプロデュースの才能に恵まれていたようです
マイルストーンズ」

「ステラ・バイ・スターライト」

「フォア」

彼らは63年から64年にかけて世界中でツアーを行いました。演奏する曲は主に50年代にマイルスがアルバムに取り上げた曲です。ツアーの中で既存の曲はどんどんアップテンポになり、当時席巻していたフリーの影響でバンドのサウンドはより過激になっていきます
マイルスからのスカウトがあるかもしれないぞ、とバンドメンバーに言われていたハービー。そんなある日電話がかかってくる。

ハービー「もしもし?」
マイルス「俺だ。マイルスだ。明日俺の家でオーディションだから来いよ」(ガチャ)
ハービー「・・・ていうかお前の家知らないし」

その後、トニーウィリアムスから詳細を告げる電話が程なくかかってきたと言う・・・w

オーディションにて、マイルスは皆の演奏を上の階で聴いているばかり・・・
と思いきや、ラッパを持って降りてくる。

そして2,3音吹いた後

「Shit」

とはき捨てて消えていった。ハービーは合格した。